聴神経腫瘍とボク#7【強くてニューゲーム編】
お世話になっております。
だんのマンです。
孤独な一夜を乗り越えて
もうこれ以上はないだろう。
あれ以上ってアンタ・・・。
そんなハードモードな人生あるかいな。
と八百万の神様の肩に手をまわして
慣れ慣れしく話をしていたツケが
だんのマンに速攻返ってきました。
そんなHCU(準集中治療室)での
激闘の数日間をどうぞご覧ください。
おしながき
HCUでの課題
地獄のICUから解き放たれて
憔悴してるとはいえ少しだけ
希望の光が心に差していました。
これからは快復だけや。
そう愚直に信じるココロだけを
胸の中の引き出しから取り出すことで
前を向いて過ごすことができました。
管だらけのだんのマン
それにしてもQOL(Quality of Life:生活の質)は
最高に低いです。
頭から管。
前腕から管。
指から管。
股間から管。
足はエアポンプ。
全身拘束されています。
とにかくいち早くこの管と拘束を解いて
自由の身になることが
当面の僕のミッションになりました。
そこで看護師さんに
どうすれば管がとれるのか
を聞くことにしました。
すると
「元気になったら」
とふわっとした答えが返ってきました。
視界がぐわんぐわんでフワフワの僕が
感じるくらいなので相当ふわっとした答えでした。
そのふわっとした希望を手繰り寄せるために
必死で元気になろうとしました。
飯をしっかり食う。
隙あらば寝る。
看護師さんとの問答は
体調が悪くても完璧に平静を装う。
など。
身体の管からの情報で
全部真実はバレバレだったのかもしれませんが
全力で過ごしました。
そして過ごしていくうちに僕の中の
「一刻も早く取ってほしい管ランキング」
が決まってきました。
栄えある堂々の1位は
・・・
ちん管(尿道の管)です。
これはほんまに不快です。
手術中に
いつの間にか装着されていたのですが
おしっこをしている実感が全くありません。
常に残尿感があり、めちゃくちゃ気持ち悪いです。
しかも、身体の左側に
尿を溜めるタンクのようなものがあり
管がそっちの方向に繋がっているので
寝返りが打てないのです。
コイツが僕のQOL(生活の質)を下げている
一番の原因であることは議論の暇もございません。
バラ色の入院ライフを勝ち取るために
だんのマンvsちん管
の死闘が始まりました。
だんのマンvsちん管
HCUに移って1日が経つと
少しずつご飯を食べるくらいの
元気が出てきました。
髭も伸びて髪の毛もボサボサの
流浪人のようなゴリラがもしゃもしゃと
病院食を口に運びます。
ですがまだ食欲自体は沸いていないため
作業感満載です。
看護師さんや家族と話している中でも
病室がとても静かなので片耳が聞こえない影響は
あまり感じませんでした。
(みんな左側(健聴側)から
話をしてくれたからだと思います。)
鏡を見ることもなかったため
顔が動かないのもどのくらい動かないのか
自分でわからず、特に問題なく寝そべっていました。
とにかくちん管を取るために
少し食べては寝て
テレビ見ては寝て
本を読んでは寝て
寝まくりました。
HPが徐々に回復してきているのを感じます。
HCUに移って2日目には
頭の管と腕からの管二本が取れ
術後の熱も37度くらいまで引き
脳腫瘍もちょろいもんだぜ。ふははのは。
と地獄の日々を既に忘却の彼方へ吹き飛ばし
パプロのチーズケーキを一気食いするくらい
甘い甘い考えですでに勝った気になっていました。
この流れ、察しの良いみなさんなら
わかると思いますが、当然このあと
すぐに試練がボクを待ち構えています。
自分でフラグを立ててることに
なぜボクは25年間生きても
わからないのでしょうか。
大人になるって、むずかしいね。
試練その1
管がだんだんと抜けてきたので
ついに点滴をつけたまま動ける棒を
杖替わりに持ちながらであれば
歩いてみていいよ。との許可がでました。
これにはもうウキウキ。
ゴリラなのにウッキウキです。
当然すぐに歩行訓練を開始しました。
ここで、いかにも問題なく余裕で
訓練を行うことで
ちん管からの解放が近づくのです。(多分)
2018年11月3日、ちょうど二年前の今日
3日ぶりに立ち上がりました。
!!??!?!?
立ってられず、もう一度ベッドに腰かけました。
立ち上がったその瞬間
地球の回転速度が3倍くらいに
なったように感じました。
コイツはヘラヘラしてられない。
生半可な気持ちを捨て
試合の時のように全身全霊集中して
もう一度立ち上がりました。
500倍くらい気合いを入れたので
なんとか立つことができました。
が、視界を動かすたびに
視界と感覚の不一致が起こります。
①視線を動かす。
②動かした先の視界が上下左右にブレる。
③ぶれた視界を脳と感覚で正しい情報に修正する。
というようなプロセスが行われているような
感覚が近いでしょうか。
この感覚の言語化はかなり難しいので、
みなさん興味のある方は
ぜひ前庭神経を切除してみてください。
*おススメしません。
試練その2
さて、「立ち上がる」という
ほとんどの老若男女が難なく行える運動を
冷や汗びっしゃびしゃになりながら
なんとか成功したボクですが
すぐに次の大きな壁が待ち構えていました。
「歩行」です。
これが出来れば
まだハイハイしかできない赤ちゃんには
ドヤ顔で高らかに勝利宣言ができます。
そしてちん管からの解放に
大きく近づくことになります。(多分)
立ち上がることで予想の100倍ほどの
エネルギーと集中力を使ったため
次はなめてかからず、点滴棒を支えに
一歩前へ足を踏み出しました。
こ、、、これは、、、
やべぇ・・・!!!!
ただ一歩歩くだけなのに
足を上げた片足の局面
前に接地して重心を移動する局面
それぞれの瞬間に
360度重力の方向が
目まぐるしく変わるような
不思議な感覚がボクを襲います。
でも、余裕でまっすぐ歩いているように
見せないとちん管が取れない・・・!
ぐわんぐわんの感覚の中
地面のタイルに沿って平静を装いながら
まっすぐ歩こうとします。
「まっすぐ歩くぞ!!」と
自分の中で気合いを入れて取り組まないと
まっすぐ歩けない。
ビールを15杯くらい飲んで
べっろべろになった時
「酔っていない」ことを証明するために
ぐらぐらの世界でまっすぐ歩こうとする感覚
が結構近いな。。と思いながら
一歩一歩全力で噛み締めながら
歩き切りました。
6歩の往復で合計12歩。
冷や汗と極度の集中でゼエハアでした。
(もちろん看護師さんが見ていたので
息吹「空手で用いられる息を整える呼吸法」
をひっそり行って呼吸を整えていました。)
ほんの2週間前まで
十種競技の試合に出て
100m11秒3で走って
投げて、跳んでいたヤツが
2週間で12歩歩くので精一杯。
このころから
生きているコトそれ自体が奇跡的であり
機能の一つや二つ欠如していても
特段珍しいことではない。
という認識に変わってきました。
それと同時に
この感覚を共有できる人は世界にいない。
この感覚を持つ自分をコーチングするのは
自分しかいない。自分しかできない。
ということに少し不安も感じました。
全ての運動を自分に合わせてコーディネイト
しなければ上達はありません。
例えば、通常は1m先に右足をつきたければ
1m先に足を出して接地するだけでいいですが
ボクは無意識に足を出すと、視界の揺らぎで
右に6センチ程度ずれるので
1m先かつ、左に6センチ足を出すことで
左右のずれがない「1m先」に
足を接地することが出来ます。
十種競技は高校生レベルの動作・競技力を
全ての種目で模倣できれば、十種競技においては
日本トップクラスの記録水準に達します。
ボクの競技レベルでも、当面は模倣のレベルを
挙げていけば日本トップレベルまでは到達すると
術前は考えていたのですが、この日から
全て今のボクの感覚に応じたオーダーメイドの技術を
構築しなければ十種競技はおろか、人並みに運動を
行うことすら難しいと改めて現実を認識しました。
それは決して絶望する未来でもなく
全ての運動を歩行から再構築できることにより
今までのボクを困らせていた力感に頼る動作などの
必要ないクセも取り払うチャンスなのかな・・。
ただ、どこまで運動ができるレベルまで戻るんかな。これ。
とポジティブとネガティブの思考の狭間で
愛するちん管と共に夜は更けていきました。
バイバイ!ちん管ワールド
拍子抜けの許可
そんな思いとは関係なく朝は平等にやってきます。
ちん管との生活も三日目に入りました。
三日目ともなるとさすがに愛着も沸きそうですが
ほとばしる残尿感と管の邪魔さで
びっくりするほどユートピアです。
小指ぶつけたときのタンスに対する憎しみ
に似た感情がちん管へ常に向けられています。
ちん管解放戦略その1
「圧倒的回復を演出する」
は効果があるかないかわからず
失敗に終わってしまいました。
そこでボクは次の戦略に移りました。
ちん管解放戦略その2
「直接言う」
もう直接言います。
病院内では背中で語っても意味がないのです。
1を言えば10は伝わる世界でもないため
11くらい言うことにしました。
ボク「看護師さん、看護師さん。
ちん管抜いてほしいっす。もう大丈夫です。」
看護師さん「三日経つしね。先生に聞いてみるね。
・・・・。いいって。今日抜いて大丈夫だよ。」
!!!!!!!!!!!
話しが早すぎる!!!!
昨日の冷や汗はなんやったんや!
でも最高や!!やっと解放される!!
ボクはこれで自由の身になるんや!!!
と甘い甘い甘い思いが頭の中によぎりました。
糖分摂りすぎたから塩分多めにとったら
プラスマイナスゼロやろ。
という考えくらい甘い考えでした。
そうです。
いつもの王道の流れです。
当然甘い考えに溢れたボクは
ワクワクしながらちん管からの解放を待つのでした。
グッバイちん管
許可から1時間くらいあとに
看護師さんがやってきました。
常時行われていた点滴も取り外され
残すはちん管のみ。
女性の看護師さんでしたが
特に恥ずかしいこともなく
ちん管から解放される未来を心待ちにしています。
わくわく。
看護師さん「それじゃ、抜きますね~。
ちょっと痛いかもです。」
ちょっとの痛みなんか全然問題になりません。
看護師さん「はい、じゃあいきますよ~」
いっっっっってぇえええ!!!!!!
三日も経つと尿道と管が癒着(?)し
そこを無理やり引きはがすので
とんでもない痛みが襲います。
しかも、看護師さんの思いやりで
痛くないようにゆっくり抜いています。
違うんです。看護師さん。
死ぬほど痛い時間が長くなるだけなのです。
イダダダダダダ!!
と叫びながら必死に耐えます。
とにかく耐えます。
そして、ついに管の最後。
ちん管を抜く瞬間が来ました。
地獄に突き落とされた僕は
「やっと終わる。。よく我慢したぞ。おれ・・」
と油断し切っていました。
大分紹介が遅くなりましたが
ちん管(尿道カテーテル)は
こんな凶悪な形をしています。
この「末端」の存在を
ちん管への理解が乏しい
その時の僕はまだ知りませんでした。
末端が抜ける直前
尿道に不穏な引っかかりを感じた刹那
弾けんばかりの痛みと共に、
人生で初めて
お・・・・・っふ・・!!!
と漫画でしか聞いたことない叫び声を
上げて、ちん管との決別を行いました。
痛い!!けどやっと解放された!!
涙目でガッツポーズを行います。
そのあと初めてちん管が外れた後のトイレで
血尿と共に断末魔の叫びをあげたのは
また、別のお話。
強くてニューゲーム
ちん管メインの話でしたが
手術後初めて歩いたその日に
自分自身の現状に茫然としました。
しかし、出来ていた自分の地点から
今の自分の地点を見下ろすから
悲しくなったり絶望したりするのだ。
と気づくこともできました。
これからはRPGゲームで言うところの
強くてニューゲームなんだ
と認識を変えることにしました。
新しい身体、感覚でレベルは1に戻ったけれど
経験や知識は前の人生から引き継いでいる。
また1からレベルを上げていくことができる喜びを噛み締めながら。
今までと同じ景色も違う彩りに変えて、楽しみながら
前へ前へと進んでいこう。
見下ろすのではなく見上げよう
階段の上から自分を見下ろして
到達できていないことを悲しむより
今の自分の地点から目標を見上げて
目の前の階段を一つずつ登っていく。
前に登ったことのある階段なので
1段飛ばしや2段飛ばしで駆け上がれる。
以前つまづいたところも2回目のボクなら対策もできる。
目標までの階段の踊り場に術前の自分がいる。
ソイツをいつの間にか追い越してしまうように。
しんどくなったら休憩しながらでも
一段登れば確実に今の自分より前に進んでいる。
上から見るのではなく下から見上げる。
考え方を変えるだけで
目の前の灰色だった世界に
色彩が戻ったように感じました。
リハビリを心から楽しめるようになったことも
この思考のおかげです。
そりゃ、モチベーションMAXで毎日送ってたら
結果なんか絶対出ますよね。
次回は史上最強の入院生活編です。
お楽しみに!
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