聴神経腫瘍とボク【人生最後の陸上競技編】

お世話になっております。

だんのマンです。

 

突然脳腫瘍(聴神経腫瘍)と診断され

 

摘出手術をしないと死ぬ

ただし、摘出手術をすると

競技スポーツはもうできない

と究極の選択を迫られ決死の決断をした前回

 

その日

僕の陸上競技の引退日が決まりました。

 

 

泣いてもわめいても落ち込んでも、刻一刻と

競技の終わりがこちらへ近づいてきます。

 

僕に残された期限は残り2シーズン。(約1年半)

決死にもがいて生きた僕の第一の人生

そのひとつの人生、最後のお話です。

 

 

2014年 23歳の冬

 

終わりから考える

 

2016年10月31日

 

その日が脳腫瘍摘出手術日であり

陸上人生の終わり

すなわち僕の第一の人生が終わる日です。

 

 

2年も残っていない。

2016年の6月に行われる全日本選手権に

出場するのが目標なので残り1年半

悲しみを感じている暇もなく

僕は圧倒的な時間のなさを感じ

この頃から常に心のどこかで焦っていました

 

 

現時点での僕のベスト記録(6288点)から

当時の出場標準記録(6850点)を突破するために

記録突破の期日から逆算して

計画を立て、トレーニングを行っていきました。

 

 

病気を告白する相手

 

また、僕の頭の中に「脳腫瘍がある」こと

そして、命にかかわる手術をすること

陸上競技がもう続けられないこと

 

そういったことは

皆に話さないことにしました。

 

なぜかというと

 

腫物に触るように接してほしくなかったから

 

に尽きます。

いつも通りの日常。

接し方で周囲の仲間と変わらぬ日常を

過ごしたかったからです。

 

練習も気を使われずに追い込み切りたい。

飲み会も記憶がぶっ飛ぶまで飲みたい。

無茶もしたいし、今の人生は今の人生のままで

最後まで楽しみたい。

 

僕が病気のことを話せば

僕の大好きな仲間たちは

 

「大丈夫か?」

 

「そんなことしていけるのか?」

 

「~~しようか??」

 

などホントに僕のことを思って

接して、話して、考えてくれるでしょう。

 

でもそれはありのままじゃない。

いつもの感じでゲラゲラ笑いたい。

 

そんな自身の気持ちが強く

手術の直前まで言わないことにしました。

 

病気のことを話した相手は

大学の先生たち

コーチ

親族

常に一緒にいる数人の同期

 

だけでした。

 

そして、たとえ僕が病気でも

関係なく今まで通り接してほしい

と思っていること。

 

できるだけ病気のことは

前述の理由で周囲に言いたくないこと。

 

を話し、皆、僕の意見を尊重してくれました。

 

なので、手術直前まで僕の病気のことを

知らない方が多かったと思います。

 

みんな黙っていてくれてありがとう

 

2015年 24歳

 

陸上人生最後のシーズンに向けて

2014年は土台作りの年と考えていました。

 

1に練習

2に練習

3.4も練習

5.も練習

 

というような生活を送っていました。

 

授業は院1年生の時に全て取り終えており

就活も早々に見切りをつけ

 

朝 小学校でバイトなければ練習

 

昼から夕方 練習

 

夜 修士論文の作成

 

というサイクルで毎日を過ごしていました。

 

論文はある程度まで進めて

とてつもなく飽きたので

ある時期からその分練習時間が伸びました。

 

生きた証

 

そして、無意識下で

身体が動いた時の勲章のようなものを残そう

という思いが働いたのか

 

大阪の環状線(約25km)を一周ラン

(4時間24分 立ち寄ったコンビニ6件)

 

 

 

大学の最寄り駅から1.5㎞ 手押し車で登校

 

東京タワー(の階段を)手で登る

 

など、ハチャメチャなチャレンジばかりしていたように

思います。

僕が生き急いでいたようなことをしていたのは

ホントに生き急いでいたからだと思います。。

 

負荷の代償

 

2部練習・3部練習・チャレンジなどを

しまくっていた僕の身体は

怪我だらけでボロボロでしたが

「残り時間がもうない。」

という焦りと

自分の決めたことは命を懸けても達成する

という意志の力でなんとか前に進んでいました。

 

当時の練習日誌を見ても

その時は感じてなかったのですが

焦りが随所に見て取れました。

 

2016年 25歳の夏

 

人生最後の陸上競技シーズン。

 

春先に足底と腰に走れないほどの痛みが生じ

2か月ほどろくに走れず

痛み止めを服用しながら

トレーニングをしていました。

 

関西インカレという大切な試合の2日前に

なんとか痛み止めなしで走れるレベルまで

回復しましたが

練習がつめていないので不安でした。

 

しかし、十種競技1種目目の100mで

自己ベストを0.12秒更新する

11秒16

を記録し、なぜか身体が動きまくっていました。

 

100mを走っているとき

次どこに足をつけばいいかがわかる

ような感覚になりました。

ホントに最高に気持ちいい感覚でした。

 

ただ、陸上競技の難しいところで

身体が動きすぎて

自分で自分をコントロールできない状態

になり目標まであと一歩のところで

試合を終えてしまいました。

 

それでも、6659点と400点近くベスト記録を更新

目標がかなり手の届くところまできました。

 

 

漫画の主人公なら

逆転満塁初回先頭打者ランニングホームラン

を決めて目標を達成し

夢である全日本選手権の舞台で

日本新記録で優勝

スーパーハッピーエンドで大団円

 

くらいの物語になるはずですが

いかんせん僕は

天王寺動物園が実家

ただのゴリラ

 

なかなかその「あと少し」が届かず

また次から次へと怪我を繰り返しました。

 

このシーズンは6665点と春先から

8点だけベスト記録を更新して

無情にも期日が過ぎ

目標を達成できませんでした。

 

2016年 25歳の秋

 

「全日本選手権に出場する」

という目標は達成できませんでした。

今までそのプレッシャーの中で

ひたすら自分を追い込みながら

十種競技を行ってきました。

 

そんな中でも十種競技のすべてが楽しかった。

 

思うようにできない自分や

きつすぎる練習内容で

走り終わった後吐きまくったこともあった。

 

それでも十種競技は楽しかった。

 

 

最後に

 

本当の競技人生の最後に

何も記録のことなど考えず

大好きな十種競技を

一緒に競技してきた大好きな仲間としよう。

そういう思いで手術の2週間前に

関西学生混成競技選手権

という大会にエントリーしました。

 

当日は今まで全力で戦ってきた仲間と

一種目一種目にその時の本気をただぶつけて

夢中で2日間が過ぎました

 

 

最後の1500mを走り切り

ぶっ倒れたときに

頭によぎったのは

それぞれの種目の

反省点とこれからの課題でした。

 

 

最後だと思っていたのに

頭に浮かぶのは

次はこうしたい。

ここをあぁすればもっと伸びる

 

あ、自分はホンマに陸上競技が好きなんやな。

もっと続けたいなあ。。

なんでもう陸上競技できひんくなるねん。と

 

更衣室でシャワーを浴びながら

めっちゃくちゃ泣きました

*後輩にばれたくなかったので必死で泣き止みました。

 

今も思い出して泣きながらこれを書いてます。

感情というのは思ったよりも

大切に心の引き出しの中に

しまわれているのですね。。

 

そのあとの2週間は時間に余裕があると

また感情がぶり返してきそうな気がして

予定を入れまくって

本当にバタバタと過ごしました。

 

そして、手術3日前になり

東京の病院に入院することになりました。

 

おわりに

 

僕の病気が発覚してから

最後の陸上競技と決めたシーズンを

振り返りました。

 

今思い返してみると、当然

もっとこうすればよい結果が出たのかもしない

ここはそれ以上するべきではなかった。

など反省点・改善点がどんどん出てきます。

 

過去は当然変えられないですが

そういったことを今の自分が感じられるのは

過去の自分より前に進んでいるから

はないかな。と思います。

 

感情が凝縮された

最高に濃密学びの多い2年間でした。

 

ほんまに脳腫瘍には

ええ経験させてもらってます

 

病気に対してそう思ってくれる人を

一人でも増やすことが

僕ができる病気への恩返し

なんじゃないかなと思います。

 

さぁついに次回は

入院~手術前夜編です。

これもオモロイ日々でした。

 

ここまで読んでくれて

本当にありがとうございました。

 

ええ時間を過ごしてもらえてたら幸いです。

 

ではまた!

 

 

 

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dannoman

だんのマンです。 陸上十種競技マスターズ日本新記録保持者 SASUKE2018に出演 2016年に脳腫瘍(聴神経腫瘍)の手術を行い、「術後、競技スポーツはできない」と診断されてから半年で十種競技に復帰し、マスターズ日本記録を更新しました。 みなさんの人生をより一層楽しむためのお手伝いができればと思っています。

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1件の返信

  1. 2018年10月21日

    […] 改めて自分の人生の軸は陸上競技にある。 […]

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