聴神経腫瘍とボク#3【究極の選択編】

 

お世話になっております。

だんのマンです。

 

デカスリート(十種競技選手)で

超絶健康体だったボクが

突然脳腫瘍「聴神経腫瘍」と診断され

さらには究極の選択を迫られます。

 

脳腫瘍があったことより

この選択に僕は戸惑い、悩みます。

 

しかし

この経験はその後の自分自身を形成する

大きな糧になりました。

 

究極の選択とはなんだったのでしょうか。

 

 

聴神経腫瘍の摘出手術

 

 

担当医から

聴神経腫瘍の摘出手術について

説明を受けました。

 

開頭手術であること

-頭蓋骨を切り開き、脳内にメスを入れ

腫瘍を直接摘出する。

 

・聴神経腫瘍が深い位置にあること

-頭蓋骨を開けたら

すぐに腫瘍が現れるわけではなく

比較的奥の方に位置する。

 

・聴神経腫瘍の摘出のために

道をふさぐ他の神経を切断しないといけない

可能性があること

 

・症状が回復する手術ではないこと

-腫瘍を摘出しても、聴力は戻らず

良くて現状維持、聴力が失われる可能性

大いにあること。

 

その他入院期間や費用等

とても丁寧に説明してもらいました。

 

手術をしても改善しないのか。。と

ため息と共に現実を受け止めました。

 

ただ、少し気がかりなことが。

 

他の神経を切断・・・?

 

他の神経とは

 

他の神経とは何を意味するのか。

 

という質問に少し言いにくそうに

担当医が説明してくれました。

 

・顔面神経

-顔面神経に癒着していない限り

顔面神経を切断することはない。

極力傷つけないことを目標とする。

顔面神経を切除・傷をつけると

顔面神経麻痺になる可能性が高い。

 

・前庭神経

-聴神経付近に前庭(ぜんてい)神経という

神経が走っている。

平衡感覚を司る神経で

切除すると平衡感覚障害を引き起こす。

ぼくの現状だと切除しなければならない可能性が高い

 

と、いうことはまさか

 

「せ、先生。競技を続けることは・・・?」

 

「術後は、まっすぐ歩くことがまず困難だから

今の競技レベルとしてのスポーツ

できない可能性が極めて高いんじゃないかな・・・。」

 

 

この事実を突きつけられて

本当に目の前が真っ暗になりました。

 

 

究極の選択「命か生きがいか」

 

 

僕は「十種競技で日本選手権に出場・入賞する

という目標を本気で達成するために

10年間続けてきた円盤投という種目を辞め

大学院に進学しました。

 

手術をすれば

陸上はもうできない

 

手術をせずにいれば

いつか命を落とす

 

目標を達成しないまま生きていくことは

死ぬことと同じ

とすら思っていました。

 

この救いのない選択を迫られ

人生の師でもある陸上競技のコーチ

自分以上に心配してくれている親

相談を繰り返す日々を送りました。

 

腫物を扱うような対応や

変に気を使ってほしくないという思い

普段通り接してほしいという思いから

友人や仲間にはほとんど脳腫瘍のことは

話しませんでした。

 

(日常生活もこれまで通り続けることが

できたので、手術直前まで

僕がこんな病気にかかっているということを

知っている人物はほとんどいませんでした。)

 

自分はいったい何者なのか

 

 

どんな選択が自分のためになるのか

本当に悩みに悩んだ日々でしたが

自分は本当に何がしたいのか

について本気で考えるきっかけとなりました。

 

今まで考えてきた

自分がしたいコトたちと違い

明日、本当に自分が死ぬかもしれない

という状況に陥ったとき

自分の中で大切にすることの順位が

ガラガラと音を立てて崩れ、変わります。

 

 

そういった同年代では考えられない

かけがえのない経験

させてくれました。

 

決断のとき

そんな日々を送りながら

悩んだ末にぼくは決断しました。

 

手術日を決める

それまでは本当に命を陸上競技に懸ける。

 

聴神経腫瘍の手術は難易度の高い手術のため

担当医に紹介してもらった大病院の先生

さらにセカンドオピニオンの先生

サードオピニオンの先生などから

いつまでが経過観察できるギリギリかを

相談し、今の腫瘍肥大ペースだと

2年程度がギリギリではないかという

予想になりました。

 

親と相談し、反対されたことも多くありましたが

最後は僕の意志を汲み取って応援してくれました

 

大学院を1年休学

修了(卒業)を2016年3月31日から

2017年3月31日に引き延ばす。

 

2年後の2016年10月31日に手術を行い

5か月のリハビリ期間を設けた後に

大学院を修了し、社会へ出る。

 

そのため陸上競技人生は

残り2シーズン(2015年、2016年)

なりました。

 

執刀予定の東京の病院で

担当執刀医の先生に経緯を話し

手術の予約を確定させて

 

 

「残り2年の陸上競技人生

 ほんまに命を懸けてでも

 目標つかみ取ったる。

 やるしかないんや!」

 

と一層心を燃やしながら帰阪しました。

 

 

ご覧いただきありがとうございました!

 

次回は舞台を手術編に移したいと思います。

 

続き

聴神経腫瘍とボク#4【人生最後の陸上競技編】

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dannoman

だんのマンです。 陸上十種競技マスターズ日本新記録保持者 SASUKE2018に出演 2016年に脳腫瘍(聴神経腫瘍)の手術を行い、「術後、競技スポーツはできない」と診断されてから半年で十種競技に復帰し、マスターズ日本記録を更新しました。 みなさんの人生をより一層楽しむためのお手伝いができればと思っています。

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3件のフィードバック

  1. 重本 保恵 より:

     だんのマンさん
     明日宣告(手術日決定)を受ける老メスゴリラです。
    7年前、近所の耳鼻咽喉科で突発性難聴と言われ、またまた近所の脳神経外科でMRIを受けましたが、何もなくて(?今回再度MRIを受けた時、先生焦って前のデータを引っぱってきていました。小さくてか、隠れていてか見えないと自分で納得していましたよ)結局はメニエルと診断されました。時々聴こえにくく、耳鼻咽喉科では「歳!」と言われて、納得しておりました。今、他の事(歌のレッスンのとき、ぶったおれた)で内科受診、CTをとって影がみえると言うことです、前出の脳神経外科にまわされました。私も歳を取りましたが、先生も金髪長髪から、すっきりした自然の色(ゴマシオ)の短髪になっていました。おめでとう、珍しい病気だよとは言われませんでしたが、そこから自宅から小1時間のところの医療センターの紹介を受け、地元の医師からのデータを見、たぶん見たてのとおりです。といわれました。彼も私が4例目(手術は)だそうです。希望があれば、近くの大都会(一応、政令指定都市)にいい病院があるし、東京医大も脳神経外科良いので紹介します。と言われましたが、考える間も無く付添の夫が、「せんせいお願いします」と言ってしまい、私の都会生活は、泡と消えました。造影剤を入れてのMRIなど、いろいろ検査をしています。明日はCT検査です。聴覚検査も有ります。へえ、一時間半も掛かるんだあと覚悟しました。先生は、何でも訊いてください、お話ししましょうといわれます。まあ、若い男子にそう言われることが無いので、明日は一杯質問を考えてい来ます。「結婚は?」とかもいいかも。私の夢は、歌です。2月に発表会ががあるので、曲だけきめて貰いました。入院中、暗譜しなければいけません。イタリア歌曲なので、ことばの意味がわからないので、記憶になかなか残ってくれません。顔面マヒは問題ですね。11月、12月と地元の合唱団の発表会がありますが、口パクかなあ。後遺症の事は、タラっと訊いただけなので、大変参考になりました。めげずに頑張ります。耳の雑音、イタイなあ。目眩。車の運転は出来ないのですかね。明日聞くことが良くわかりました。有難う。まあ、69歳ですが、がんばるぞう!あ、ウチの主治医、気に入っているんですよ。イケメンです。君と同じだね。

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