聴神経腫瘍とボク#6【運命の手術編】
お世話になっております。
だんのマンです。
ついに迎えた第一の人生が終わる日。
そして第二の人生が始まる日。
運命の手術当日を振り返ります。
手術当日の朝
センチメンタルな気分になる暇もなく
9時間ぐっすり寝て手術当日の朝を迎えました。
断食のためお腹は空いていましたが
それ以外は体調ばっちり良好も良好。
いつでもかかってこいや!状態でした。
そんな能天気なのは僕だけのようで
朝から来てくれた家族はとても心配そうでした。
その心配を少しでも取り払おうと
たわいもない会話を家族としていたのを
覚えています。
9時ごろから最終事前検査が始まりました。
MRIはもう慣れたものなのですが
造影剤を入れられたときの独特の
アルコールが直接身体全体を駆け巡るような
言語化しにくい感覚がニガテなので
あまり気乗りはしませんでした。
MRI心待ちにしてる人おらんか。
そのあとは病室へ戻って手術の最終確認を
僕と先生と時々オトンで行いました。
そしてついに手術着に着替え
自分のベッドごと手術室に運ばれていくのでした。
余裕のニヒルな笑みです。
この後頭蓋骨開けられるヤツには見えません。
手術室へ
さあ、手術室へ向かいます。
仰向けのため全体像は
よくわかりませんでしたが
ドラマでよく見るあの
カッ!!てなるやつ。
がありました。
そのカッ!となるやつの横で
意識確認などいろいろされて
酸素マスクをつけられました。
看護師さん
「呼気から麻酔を入れるから
すぐに眠くなるよ~。
入れていくよ~。
苦しくなったら言ってね~。」
だんのマン
「9時間ばっちり寝て何も疲れてない僕が
そんなんで寝るわけn・・・」
寝ました。
多分ここらへんでした。
一撃で寝ました。
この後手術の記憶は全くありません。
現在医学の発展恐るべし。
・・・
・・・・
・・・!!
目を覚ますと
知らない天井でした。
手術が終わって
目を覚ますと手術室ではない別の部屋にいました。
身体は管だらけ。
鼻から口から手首から。
足も縛り付けられ、股間からも管が伸びています。
頭も包帯でぐるぐる巻きにされているようです。
「あぁ。手術終わったんか。
生きててよかったわ。
今何時やろう?」
と時計を見ようと
上半身を起こそうとしたその時
!?
世界が回りました。
世界は、地球はいつだって回ってるけれども
上半身を起こした瞬間
視界がぐわんぐわんと猛烈に揺れ
身体を起こしておくことができませんでした。
ベッドに再び倒れ
天井を見ながら
これが後遺症か。。と
これからの人生で
後遺症と共に歩んでいくという現実を
世界が回っている状態で
競技に復帰するということが
どういうことなのか。
目の前に立ちはだかる壁の高さを
やっと実感しました。
そして僕だけが
地球の自転に取り残された世界で
必死に現在の時間を確認したところ、
19時であることが分かりました。
手術が始まったのが
確か12時か13時ごろだったはずなので
7時間ほどノンストップで寝ていたようです。
9時間ばっちり寝たゴリラを
7時間スヤスヤ眠らせる麻酔。恐るべし。
ICU(集中治療室)での戦い
開けた未来、目の前の壁。
僕が目覚めたことに
看護師さんが気づき
家族と執刀医を呼んできてくれました。
無事に手術を終え
腫瘍の97%は摘出できたこと。
顔面神経麻痺はやがてマシになること。
右耳の聴力は完全に失われたこと。
確かに、顔の右側の感覚が全くありません。
口角を思いっきりあげても
右側だけ置いてかれているような
不思議な感覚です。
右耳も確かに聞こえません。
ただ、全くの無音ではなく
常に強い耳鳴りがなっています。
これはなかなかどうして聞こえにくい。
でも、顔が動かなくても
耳が聞こえなくても
生きている。
もう、
「もしかしたら腫瘍の影響で
突然死ぬかもしれない。」
という思い、恐れを殺しながら
生きていかなくていい。
生きてさえいれば前に進める。
陸上もできる。
・・・のだろうか。
上半身を数分起こすだけで
世界がぐわぐわと回り吐きそうになる。
こんな状態でいつかまた
全力で走れるようになるのだろうか。
僕の目の前に立ちふさがる分厚い壁を
ただ茫然と見つめるだけの自分が
頭の中にいました。
管に繋がれたまま
もやもやと自問自答を繰り返しながら
少し目を閉じました。
VS痛み
何分経ったかわからない中
ぼんやりと目を覚ましました。
さっきとは何か感覚が違います。
依然、視界は回って気持ち悪い。
耳鳴りもでかい。
顔も動かねぇ。
あとは・・
痛い?
痛い痛い!
頭の傷口がズキズキを越えて
ガンガン痛みを発してる。
痛みからくる頭痛なのか
頭の中からくる頭痛なのか
どちらでもいいけど頭が割れそう。
モゾモゾと動きながらも常にめまいがする。
横になってても世界が回る。
吐きそうやけど吐けるものが胃にない。
ずっと同じ姿勢を取り続けているため
腰と足が痛い。
足の血流を促すためにエアポンプ付きの
圧縮機みたいなモノに足がすっぽり入っている。
暑い。でも脱出できない。これはキツイ。
さらに体中が管まみれのため寝返りが打てない。
右側の傷口を上にしていないといけないので
基本左向き。
苦しい。苦しいぞこれは。
出てきた晩御飯も
全く食えません。
くぅ。
一食無駄にした。。
VS時間
苦しすぎる時間。
早く解放してほしい。
動きたい。
ただそれだけしか考えていませんでした。
何もなければ翌日にはICUを出て
別の病棟に移れるとのこと。
はやく時間たってくれ。
はやく。はやく。。
願っても願っても1秒ずつしか
時計の針は進みません。
さらに苦しい時間の体感時間は長い。。
この時点で21時くらいでした。
・・・
・・・・・。
寝るしかない。
今日16時間寝てるけど寝るしかない。
痛みと気持ち悪さ
さらに頭蓋骨を切った反動で
39度くらいの高熱が出て
圧倒的な寒気にうなされながら
地獄のような現実から
必死に目を閉じて逃げます。
むにゃむにゃの「む」の字も出ないくらい
全然寝れねぇ。
何かで気を紛らわすしかない。
ICUでは各ベッドに簡易なテレビを
用意してくれていたので
とりあえず付けます。
全然頭に入ってこない。。
新宿・渋谷がハロウィンでえらいことに
なっているニュースくらいしか入ってきません。
うーん。うーんと唸りながら
テレビを見たり目をつぶってみたり。
頼むから頼むから頼むから
寝させてくれ!!!!
時間早く経ってくれ!!!
・・・
!?
いつの間にか寝ていました。
よっしゃ!!
とぐわんぐわんの脳内で
術後初のガッツポーズを決め
朝の何時かをテレビで確認しようと
早速テレビの電源を付けました。
めざましテレビでもおはよう朝日でも
いいから朝の何時か教えてくれ!!
テレビ「ZERO~♪」
その時ほんまに人生で初めて
殺してくれ
と一瞬よぎってしまいました。
このキツさが後8時間・・・
テレビを消し
考えるのを辞めて
ただただ寒気と痛みと吐き気が
収まるのを祈るだけにしました。
今まで生きてきた中で
最も苦しく
最も長く
最も孤独な夜でした。
長い長い夜を越えて
ICU(集中治療室)から
HCU(高度治療室)という
ICUと一般病棟の間の治療室に移ることができました。
術後2日目
地獄の夜を越え
憔悴しきったボクを
家族が撮影していてくれました。
THE 病人です。
2017年の
病人オブザイヤー
にノミネートされてもおかしくありません。
カメラを向けられても笑うことすらできない
くらいには、疲れ切っていました。
ただ、僕の中に
術後初日の山を越えた。
あとは快復していくだけや。
と何の根拠もない甘い甘い見通しが
確かに芽生えていました。
このHCUでの2日間が
忘れられない日々になることも知らずに。。
続き
これからも頑張ってください!
ありがとうございます!
ぶっとばしていきます!