聴神経腫瘍とボク#5【最後の夜編】
お世話になっております。
だんのマンです。
陸上競技最後の試合で
改めて自分の人生の軸は陸上競技にある。
と痛感したのも束の間。
運命の日、2016年10月31日は
もうすぐそこまで迫っていました。
故郷大阪を去り
事前入院のために東京へ。
最後の3日間を振り返ります。
10月28日 手術3日前
バタバタと用意し
ダバダバと西新宿の病院へ。
ここに一か月住むんか~
めっちゃくちゃ都会やなぁ~
と月並みな思いを
感じたことを覚えています。
入院のための手続きをとり
病室へ案内されました。
同じ部屋の方にあいさつを済ませ
日用品を準備し
診察・検査を行いました。
流れるように
採血やMRI・手術の内容の確認
を行いました。
手術の目標は
・可能な限りの脳腫瘍の摘出
(全て摘出しようとするとほかの神経を傷つけ
リスクの方が大きくなるため)
・顔面神経を切除しないこと
(神経は無数に張り巡らされており
さらにどれがどの神経か色がついて
分かれているわけでもないため
執刀医の経験と知識・カンが頼りなのです)
また、脳腫瘍がだんだんと
大きくなっているので
(腫瘍発見当時、直径2.1~2cm程度でしたが
この時点で直径2.6~7cmになってました。)
「聴力(右側)の温存は難しいだろう。」
と告げられました。
しかし、2年前から覚悟してきたことなので
特に気持ちに動揺はなく
「わかりました!
これから嫌なコト言うてくるヒトには
右側に立ってもらえばいいんですね!」
とポジティブに受け止められました。
まだ片耳の世界に入ったことのない僕は
果たして片方の聴力を失うことが
本当に不幸・マイナスなことなのか
まだ知り得ないからです。
自分で経験し、自分で感じた後で
幸せか不幸か判断しようと思っていました。
一通り打ち合わせが終わり
僕は心からこう思いました。
暇や。
まだまだ健全な肉体と精神を有する
25歳成人男性。もといゴリラ。
そんなやつに病室は暇すぎました。
というわけでここから手術前日まで
診察・検査以外の時間は
新宿あたりをひたすら徘徊しながら
うまい飯屋を探している生活でした。
この努力の甲斐あってか
お見舞いに来てくれた方には
必ず満足して帰っていただきました。
西新宿はビジネス街なので
安うまの店で溢れていました。
10月29日 手術2日前
地獄の聴力検査
この日は聴力検査のみの予定でした。
小学校低学年から
こちとら何回聴力検査を行ってきているか。
百戦錬磨の聴力検査マスターの僕は
今回も楽勝だろう。
10分で終わるやつや。
と意気揚々と検査室へ向かいました。
ただ、そんな
キャラメルフラペチーノチョコレートチップ乗せ
のように甘いボクを待っていたのは
およそ1時間半弱の聴力検査でした。
1時間半か。
イージーやん。
なにをこのゴリラは喚いてるねん。
とお思いのあなた。
電話ボックスより小さく暗い
何の音も聞こえない密室で
微かな音が聞こえたときに
ボタンを押すだけの時間
が1時間半です。
ぼくには、めっちゃくちゃキツく
時の流れに取り残された気分に
なっていました。
後半の1時間20分は
「早く出してくれ頼む。
もう新宿徘徊なんてしません。
勘弁して下さい。賢くしとくから。」
とさながら無罪で投獄されたような
気分で検査を行っていました。
そしてやっと無罪放免を勝ち取り
部屋の外での検査を行うことになりました。
足踏み検査の衝撃
目を閉じて100歩その場で足踏みする
という検査でした。
「??
なんやそのよくわからん運動は??
毎日ハードにトレーニングしてるし
当然できるでそれは。」
と頭の中にクエスチョンを抱えたまま
とりあえず行いました。
・・・97、98、99、、100。
何がわかるんやろ??
とまだよくわからないまま
目を開けると
全然違う世界が広がっていました。
というのも、僕は
まっすぐその場で足踏みしてるつもりが
1歩毎に少しずつ位置がずれ、結果的に
1周半(540度)くらいその場で回っていたのです。
衝撃でした。
検査してくれた先生は
「あー。やっぱりね。」
という感じの反応で
「もうすでに右側の
平衡感覚をつかさどる神経が
正常に機能していない。
よく今まで競技ができていたね。
恐らく他の器官(目や耳など)からの
情報で調節していたんでしょうね。」
ということでした。
そのとき、
今まで閉眼片足立ちなど
目からの情報に頼ることが
出来ない状態の運動が
全くできない・上達しなかったことに
合点がいきました。
恐らく成長と共にじわじわと
機能が低下していく中で
じわじわと他の器官が
順応し、代わりに支えてきたのだろう。
という見解でした。
人間の身体ってほんまにすげぇ
こんなに知らず知らずのうちに
頑張ってくれていた自分の身体を
死ぬまで一生愛し切ろう。
と心に決めました。
地獄の検査を終えた後
また新宿をぶらぶらと6時間ほど徘徊していました。
この時も新宿界隈を足踏み検査のように
ぐるぐるぐるぐる回っていました。
その間にお見舞いに来てくれた
友人・先輩がいたのですが
僕に出会うことなくお見舞いの品を
置いて行ってくれました。
本当に申し訳ないと思います。。
10月30日 手術前日
ついに手術前日となり
担当医との問診や手術手順の確認を
朝からバタバタと行いました。
家族も大阪から来てくれて
昼はわいわいと過ごし
皆で外食をした記憶があります。
夜からは手術に備え断食となっていたので
手術前最後のご飯に舌鼓を打ちまくっていました。
ステレオ最後の夜
19時ごろから1時間ほど夜の新宿を散歩していました。
世間はハロウィンですさまじい盛り上がりを
見せており、新宿には仮装をした若者が
特に何をするわけでもなくわいわいしており
とても微笑ましい光景でした。
一通り雰囲気を楽しんで、
都会の喧騒から静かな病院へ
自分の人生で最後のステレオの音楽を
聞きながら夜の西新宿を歩いていました。
特にセンチメンタルな
今で言うと「エモい」感情にはならず
お気に入りの音楽を聴いていました。
僕が中学生のころから大好きな
「サフランの花火」
この歌が流れたときに
陸上を始めた中学生のころから
人生がフラッシュバックしました。
さらに歌詞が今の自分を現しているようで
なんだか急に感情の津波が押し寄せてきそうで
慌てて曲を止め、病室に戻りました。
このままでいれたらと
何度も何度も
ここから逃げたくて
という歌詞に
ホンマは自分で気づかんように
ココロの奥に閉じ込めていた思いの箱を
こじ開けられそうになったのだと思います。
口でも自分の意識下でも
「手術なんて全然大丈夫や。
おれがおれであるのは変わらん!」
と強がって言ってはいたものの
まだまだ甘ちゃんのかわいいやつでした。
僕が聞いた最後のステレオの音楽は
広沢タダシ「サフランの花火」でした。
手術前夜
普通の流れだと
病院のベッドに潜ってからも
手術が不安で眠れない
今までのことを思って涙が止まらず
いつの間にか朝を迎えるはずですが
歯を磨いて一瞬で寝ました。
22時から朝7時まで9時間ばっちり寝ました。
目を覚ましたらすでに
手術当日
運命の10月31日
になっていました。
手術編はまた次回。
最後までご覧いただき
ありがとうございました!
ええ時間過ごしたな。
と思っていただければ幸いです。
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