聴神経腫瘍とボク#11【おかえり!陸上競技場編】
お世話になっております。
だんのマンです。
ハードなリハビリを行った入院生活もついに幕を閉じ、退院の日がやってきます。
保護された病院という環境から、何の保護もない社会という野に放たれたボクが真っ先に向かったのは、やはりあの場所でした。
迎えた退院
ついに1ヶ月弱の濃厚すぎる入院生活が終わりました。
お世話になった主治医の先生、看護師さんたち、患者さんたちにご挨拶をし、さらに勝手に目標を語り、最後まで暑苦しく病室を後にしました。
スーツケースと共に病院を出ると慣れ親しんできたあのベッドに戻らないんだ。という実感が徐々に湧いてきました。
それと同時に、視界が揺らいで吐きそうになったり、身体の不調があればすぐに相談できる状態ではなくなる。という保護がなくなったことに少し不安を覚えそうになりましたが、腹筋でぐっと我慢してそそくさと大阪へ帰りました。
1ヶ月ぶりに帰ってきた自分の部屋に感動するかな。とワクワクして扉をあけましたが、当然1ヶ月前と何も変わっていなかった為感動もせずに、綺麗な状態を保ってくれた両親に感謝しながら倒れるように眠りました。
競技場へ
翌朝、幼い頃の遠足の朝のようにワクワクしながら飛び起きて、ダッシュであの場所まで向かいました。
1ヶ月ぶりの大学。
もちろんみなさんご存知でしょう。
母校の大阪教育大学のゆるキャラ
たまごどりとやまおです。
彼らに癒されながらキャンパスを無視してずんずんと奥深くへ。
たった1ヶ月ぶりの競技場。
やっと帰って来たという安堵と、帰ってくることができたという喜びがジワジワと湧いてきました。
大学に進学してから陸上競技場へ1ヶ月来ないという経験は初めてでした。
陸上部の仲間にめちゃくちゃ心配され、
『ほんまに大丈夫なのか?』
『まだ明らかに早いやろ!早く帰り!!』
と愛のある叱責をされながらも、暖かく迎え入れてくれました。
半分しか動かない顔に戸惑っている仲間もいましたが、軽口を叩きまくるボクをみて、中身は変わってない。と安心(呆れ?)してくれました。
ウォーミングアップ代わりに今まで行ってきたリハビリメニューを行い、ついにメインディッシュの時間がやって来ました。
この日の目的は、100mのタイムトライアル1でした。
陸上競技の王道にして原点。
100m走です。
競技復帰を目指すにあたり、自分の現在の位置を知る必要があります。
1ヶ月半前に出場した術前最後の10種競技の試合では、100mの記録は11秒48でした。
初めて10種競技の試合に出た日のように、100mのスタートラインに立ち高鳴る気持ちと共に全力で一歩を踏み出しました。
こ、こ、こける!!!
陸上競技の100m走などの短距離種目のスタートは「転けるくらい身体を倒して、その前方への力を使って走る」という技術があるのですが、それとは次元が違います。
ほんまにこける!!
今まで階段登りやジョギングだけしか、リハビリのメニューに入っていませんでした。
ジョギングは一歩一歩が「小ジャンプ」なので視界の揺らぎも「小」でした。
100mを全力で走ると、ジョギングとは比べ物にならない勢いと上下動が自分の身体に襲いかかってくるので、視界が酔っ払いです。ぐっわんぐわん。
左右に振られそうになる身体をなんとかかんとかまっすぐに正しながら必死に足を前に出してゴールにむかってがむしゃらに走りました。
当時の動画です。
退院後初めての100m
タイムは13秒2。
当時のフェイスブックでの投稿より僕の当時の生の声を聞いてみましょう。
ジョギングとは比べ物にならないスピードで情報の波が襲ってきます。
よーいドン!左足でしっかり押…す前に左にぐらついた!右に重心を流しながら右足を次地面に着い…たけどまだ左にぐらついてるからまた右側にバランスを…!?あれ!?視界ぐわんぐわんやんけどのくらい右側に身体乗せたらええんやろわからんけど考えてる暇ないっ!左!右!左!右!うわっ左に蛇行してる右に戻さな!!右に戻しすぎた!!やばい!!!とにかくまっすぐ!!げ!!身体起きすぎて加速できひん!!でもとにかくまっすぐ!!!あーーまた蛇行や!!うぉおおおおーーー何が何かわからんーーー!!!
とかもう処理できない情報量と闘いながらゴールしました。
記念すべき100mのタイムは13秒2…
Orz
ほんまにこのポーズになってました。
慌てぶりがひしひしと伝わりますね。
もうほんとに今までに感じたことない情報が流れ込んで来てIntelの入っていないボクの脳みそは煙を拭きながら必死に情報処理をしていました。
横からだとまるで軽快に走っているかのように写ってしまっているかもしれません。
そんなアナタの為に後ろから録った動画を用意しました。
後ろからの100m
めちゃくちゃタイムが落ちてショックだった反面
○現状の自分を知れたこと
○自分の運動能力のドン底は100m13秒2だと知れたこと
○このドン底からの未来は、成長と成功しか待っていないこと
この3つの事柄も同時に分かり、肩を落としながらニヤニヤして帰るというよくわからない帰路につきました。
人生はレベル上げ
これから長く長く続くリハビリ生活。
リハビリが終わる時、それは手術前の自分の競技力を超えた時だと思います。
これを書いている今でもまだボクはリハビリの最中です。
もう一度グラウンドに戻って来たこの日から、たくさんのことを学んで来ました。
現状の自分を知り、未来の自分を鮮明に思い描き、今と未来の自分が繋がるような地図を作っていく。
それがシンプルだけど確実な自分の夢を叶える方法だと思います。
最初の街の近くのスライムでも何万匹、何億匹と倒せばレベルは上がります。
最初の草むらでコラッタを倒し続ければ、レベルは100まで到達します。
もちろんボクたち人間には寿命というものがあるので永遠に時間を注ぐことはできません。
選手寿命や自分に残された時間と相談しながら、リスクと報酬のバランスを取りながら、レベルを上げていく。それが人生だと感じます。
現状に嘆いていても、不満を漏らしてもいい。
その行動が自分が前に進むためのエネルギーになるのなら決してネガティブな思考も否定されるものではないと思います。
自分が感じた感覚全てを楽しみながら、どんどんどんどん前に進んでいきましょう。
レベル上げが解禁されて嬉しくなったボクは、練習しすぎてグラウンドに足を踏み入れて一週間後、腰を怪我してしまい、少しだけおとなしくなりました。
少しだけ後日談
退院して一ヶ月後、同じように100mの記録を測ってみました。
少しだけ躍動感が増しているのではないでしょうか。
12秒5まで記録が伸びていました。
一ヶ月で0.7秒タイム短縮。
この調子で行けば1年後には0.7×12=8.4秒タイムを縮められます。
100m4秒1。
音を置き去りにできるぜ。わっはっは。
同じ聴神経腫瘍の摘出手術を1年前に受けました。50歳のババアですが、生きてゆくことの価値観が大きく変わり、『今』を大切に自分に素直に生きています。
術後、1か月半で職場復帰。その半月後には、上海に旅行に行きました。周りには驚かれましたが、『目標』は大切です。この春からジムに通い始めました。運動は苦手ですが、常にお付き合いしている『ふらつき』のため、筋力が必要だと思い始めました。まぁ、太りすぎってこともありますが・・。
久しぶりに聴神経腫瘍でネット検索してこのブログにたどり着きました。読ませて頂き、入院生活を思い出したと共に、『初心忘るべからず』と感じました。ありがとうございました。寿命があとどれくらいかは、神様しかわかりませんが、助けていただいた命を大切にしつつ、好きなように生きる素晴らしさに感謝して日々暮らしていきたいと思います。 どうぞ・・・良い人生をお過ごしください。
りえるさん
コメントありがとうございます!
「生きてゆくことの価値観が大きく変わり、『今』を大切に自分に素直に生きています。」
ほんとにこの通りですよね。
腫瘍摘出にあたって、多くのことを失わなければなりません。
しかし、同時に多くのことを与えてくれたと思います。
人生の時間は限られているとポジティブな意味で教えてくれますよね。
「寿命があとどれくらいかは、神様しかわかりませんが、
助けていただいた命を大切にしつつ、好きなように生きる素晴らしさに
感謝して日々暮らしていきたいと思います。」
本当にこの通りだと思います。
お互い命燃え尽きるまで最高の人生を歩み続けましょう!
りえるさまも最高の毎日をお過ごしください!